大学院を中退しました

メリークリスマス!
おさかなです。

大変長らくこのサイトを放置してしまい申し訳ありませんでした。
身の回りのことが立て込んでいてちょっとそれどころではなかったというのが正直なところです。

さて、表題の通り大学院を中退しました。
正確には来年の3月31日付で大学院を中退するという退学願を提出しました。
このため一応籍は残っているのですが、もう大学には行っていません。

大学院を中退してどうするのという声も聞こえてきそうですが、幸いにも内定が取り消されなかったので4月からそのまま就職します。
中退者の多くは新卒を採用要件としない公務員やベンチャー企業に就職すると思いますが、私はそうではありませんでした。
こんな事例もあるんだなあくらいに思ってもらえればと思います。
研究室生活が上手く行かなくて困っている大学院生の皆様の参考になれば良いなと思い記録を残しておきます。

以下、時系列順に説明していこうと思います。

背景事情

中退自体は突然でしたが、ここに至るまでの流れは一応あったので説明します。

生物系の修士院生をやっていました。
特にやりたい仕事がないまま18卒として無策で就活したところ全滅してしまったので、2017年10月~2018年9月の1年間休学して19卒となり就活をやり直していました。いわゆる就職留年です。
ようやっと第一志望群の某金融機関から内々定を頂けたのですが、専攻とほぼ無関係の業界だったため研究室生活が無意味なのではないかと思うようになってしまいました。
そうは言っても修士修了見込ということで採用して頂いたので、なんとか修士号だけでも取ってしまおうと当時は考えていました。

9月までは休学中の身分ではありましたが、10月から復帰では研究時間が十分に取れないということで6月終わりから研究室生活に復帰していました。
しかし、実験の成果も殆ど出なかったことから虚しさを覚えるようになり、8月9月は研究室にほぼ行けていませんでした。
指導してくださっていた准教授もしびれを切らしたのか、修士号を取る意思があるかどうか知らせてほしいという旨のメールまで送ってきました。
救済の意図も込めてか新たな研究テーマを割り振ってくださいましたが、修士修了に際して条件をつけられました。
用事がない限りは平日毎日来て最低でも8時間は研究室にいること、月毎の実験計画書と日報をメールで提出することというものでした。
これもあり10月からは週5日研究室に通っていましたが、昼過ぎに研究室に行きネットサーフィンをしたりして大したことをせずに18時頃に帰ることもしばしばでした。

准教授からはまめにメールが来て進捗確認され、「修士論文の提出=卒業ではないということも理解しておいてください。」などと危機感を示されていました。
こんな状況の中でも、ここ5年は修士は修了を希望すれば全員終われていたし私もきっと出してくれるだろうと私は楽観視していました。
そんなこんなで大学の保健センター精神科や学生相談所に通って投薬治療やカウンセリングを受けつつ、修士修了を目指していました。

留年勧告

11月5日の夕方に教授から英文のメールが来ました。
修士2年生の全員と修士論文の見通しについて個別面談をしたいというものでした。
ただ、メールには” it is important before hand to consider if your progress is sufficient to complete master degree(進捗が修士を修了するのに十分かどうか事前に考慮しておくことは大切なことだと考えています) ” という言い回しがあり心に引っかかりました。

この後に、研究室で怪しい噂が流れてきました。修士2年生5名のうち3名は留年させられるというものです。
私より進捗が悪い人もいましたが、それでも私も危ないのかなとそれを聞いて思いました。
そんなこんなで研究室の学生の間では疑心暗鬼が広がっていきました。まるで人狼のようですね。
今考えてみるに、おそらく教授が博士院生にぽろっとこぼしたのが広まったのでしょう。

11月9日の割り振られた20分間で個別面談をしました。
危ないかなという気持ちと大丈夫かなという気持ちが半々だったのもあり、精神科でもらったインデラルとワイパックスを飲んで緊張や不安を取り除くようにしていました。
また、不利なことを言われても問題ないようにボイスレコーダーも入れて臨みました。
普段は几帳面とは程遠い性格なのにこんな時は用意周到で、我ながら呆れてしまうばかりです。
面談自体は教授、准教授、助教の3名に対して私一人で異様に堅い雰囲気でした。

最初の2、3分で最近の進捗について軽く聞かれた後に、今の進捗ではあと2ヶ月で修士論文を書き上げて3月で修了するのは難しいのでは、提出を延期して半年間延長するという選択肢があるのではないかと話し始めました。
修士論文をどうしても提出したいなら止めはしないが、あまりに内容が薄い修士論文を審査に回したところで多分通らないだろうし副査の先生方にも迷惑を掛けるから良くないとのことでした。
それに修士を何年掛かって取ったかというのは人生の後半でおそらくそれ程影響しないと思うし、ここで程度に達していないのに無理をして修士号を取ったところで大学側にとっては勿論君にもおそらく良くないと思うんだよねと話していました。
ただ一方で就職や家庭環境といった他のことにも影響を及ぼすだろうし周辺事情も様々あるのではないかとも話していました。
就職先が待ってくれるのならば延ばしても良いし、そうでない場合は修士論文を出さないというのもあるし、就活をやり直すというのもあるし色々な選択肢もあるので良く考えて最善のものを選んでほしいということでした。
時間も必要でしょうし今答えるのは大変でしょうからゆっくり考えて、来週くらいまでにどうしたいか結論を教えてほしいということでした。

私はこの話を聞いて当然ながらかなりの衝撃を受けましたが、修士論文の提出直前ではなくて早めにとどめを刺してもらってありがたかったともほっとしました。
不思議な安心感です。苦しい日々が終わることへの安堵でしょうか。
それにしても言質を取らせない曖昧な言い回しが終始続きましたね。
指導教員から修士論文を出すなと言ってしまうとアカハラにあたるからでしょうか。この辺りの手続きにはやたら慣れているようでした。

面談が終わった直後に親に電話しました。
事情を話したらもう仕方ないね、できることをしていくしかないねといった調子でした。
留年か中退かという究極の二択を突きつけられるとそうなるのも当然でしょう。
それにつられて私もしょうがないね~なんて言ったらしょうがないねじゃないよちゃんと学校行ってたの!?って流石に怒られましたが。
笑い飛ばさないとやっていられなかったのです。どうかお許しを。
その後私にどちらにするか聞いてきました。
私はもうこれ以上研究したいというつもりもなかったので、内定が大丈夫だったにせよ取り消されたにせよ中退するつもりだと答えました。
学費もあるしそりゃそうだよねと親は答えました。
休学する時は渋られたのに、退学はあっさりと認められて拍子抜けです。
早々に意見がまとまったのもあり、事態が動いたらまた連絡するとだけ言い残して電話を切りました。

採用決定

内定先との事情もあり細部はぼかしますのでご了承ください。
気になる方はこっそり聞いてもらえればお教えします。

親に電話した後に内定先の人事の方に電話してこれまでの経緯を(不登校の件は伏せた上で)説明し、中退して入社したいという希望を伝えた上で連絡を待つことにしました。
私とは別の某金融機関から内定をもらって大学院を中退して働いていた学科同期がいたので、久し振りに連絡を取って内定先との交渉の流れを聞いたりしていました。

この後の1週間は研究室には行かず家にいたり大学の図書館で過ごしたりバイトをしたりしていましたが、気が気でなく何も手についていませんでした。
学科同期の事例もあるしおそらくなんとかなるだろうという楽観が6割、内定を取り消されるかもなという悲観が4割でした。
内定が取り消されたら三度目の就活をしようか、それとも医学部再受験しようかなとぐるぐる考えていました。
この歳にもなると、大学の身近な友人が医学部再受験する話はそれなりに見聞きします。
人見知りで対人折衝が苦手な私としてはなるべくなら避けたいところではありましたが、世間一般には三留扱いになることですし他に食い扶持が見つからなければ仕方ないかなとも考えて予備校探しもしていました。

翌週になり、11月15日の昼過ぎに内定先の人事の方から学部卒での入社を認めると知らされました。
金融というお堅い業界に属する会社なだけあって社内調整に手間取ったのでしょう。
ほっとしました。ありがたいことです。
どうやら内定先では新卒採用の条件は職務経歴なしの大卒というだけで、年齢制限は特に設けていなかったようでした。世の中知らないこともまだまだあるものですね。

退学手続

11月16日に退学願を取りに大学の事務に行きました。
休学した際に顔を覚えられていたのか、名前呼びされて今度は退学ですかという対応をされたのには内心苦笑してしまいました。
その後研究室のデスクに戻り、一通りの必要事項の記入を済ませました。
半期毎に授業料が発生して今期はもう払う必要があるためいつ退学しても変わらないとのことで、来年の3月31日付で退学としました。
休学願とは違って理由書の添付は不要とのことで、理由欄も「就職のため。」だけで良いとのことでした。大学を辞めるのってこんなに簡単なものなんですね。
その日はたまたま教授が出張で不在だったため、そのまま帰りました。

次の平日である11月19日になり、教授に大学院を辞めることにした旨を伝えて捺印してもらいました。
そのまま事務に向かい、退学願を提出しました。25歳の誕生日のことでした。

教授からは内定はどうだったかを聞かれ、大丈夫でしたと答えたらそれは良かったと返されました。その後引き継ぎをきちんとやるようにと念押しされて終わりです。
研究室でお世話になったポスドクや先輩後輩、テクニシャン(実験補佐員)の方々にも挨拶回りをしました。
このような時にどのように声を掛けるかでその人の本性が現れるものなんだなと感じたものでした。
お疲れ様でしたお体に気をつけてと言う几帳面な方もいれば、なんと声を掛ければ良いのやらと困惑する方、この3年間は失敗とは限らないかもよと言う方、就職が目的ならそれで良いんじゃないと冷ややかに言う方、羨ましい私も辞めたいと言う方と反応は様々でした。

その後准教授から引き継ぎプロトコルをもらい、その指示に従って実験データのまとめ、サンプルの整理と保管、冷蔵庫スペースやデスク、実験ベンチ、試薬の片付けといった作業を3日間掛けて進めました。卒業する人と同様の流れですね。
作業が全て終わり、秘書の方に研究室の鍵を返して研究室を去りました。
最後に学生控室を出る際に
「さようなら。二度とここには来ないと思いますが、皆さんお元気で」
と言ったらその場にやや緊張感が走りましたが、
「お疲れ様でした。そちらこそお元気で」
と後輩に返されて終わりました。ようやっと全て終わりです。
数日したら研究室からのメールも来なくなったので、おそらく研究室のメーリングリストからも外されたのでしょう。

中退を決意してから半月くらいしか経っていませんが、ここまでは本当にあっという間でした。

その後

おそらく人生で最もプレッシャーのない120連休の到来です。
学部の長期休暇も2ヶ月はありましたが、なんだかんだ途中に試験やら成績発表やらあって気が休まりませんでした。
昨年の休学中も物理的には相当暇でしたが、次の就活も決まらなかったらどうしようという精神的なプレッシャーは常に隣り合わせでした。
それを思うと今回は本当に気楽なものです。

とりあえずは当面の生活費を稼ぐことにしました。
12月前半はこれまで土日にだけ勤務していた採点バイトを平日にも入れ、日曜以外の週6日は9時~18時で働いていました。
何もしないと生活リズムが昼夜逆転してしまうだけですし、なかなか健康的な生活ではないでしょうか。
さながら学生証を持っているフリーターのようですね。
今後は旅行に出たり別のバイトをしたり資格勉強をしたりしたいなと考えています。

このような感じに働きたい時に働いて遊びたい時に遊び、会いたい人に会うというストレスフリーな生活を謳歌しているところですが、ふと虚無感や焦りを感じる時もあります。
休学自体は人生のどこかで必要だった有意義なことだったのかなと感じていますが、そもそも大学院に行く意味があったのかというものです。
今回の中退そのものは難しい状況の中でも最善を尽くせたしその中では最も良い結果を得られたということで後悔はありませんし、研究に対する未練も全くありません。
それでもできることならば学部4年生の院試を受ける直前くらいのタイミングで休学して人生の方向性を考えれば良かったなと思うのです。
大学院生活が無駄だったとまでは言い切りませんが、精神的にもかなり損耗しましたし社会人として過ごしていたほうが金銭面も含めてはるかに有意義だったなとないものねだりをしてしまいます。
また、大学の同期がとっくの昔に就職を終えているどころかもう社会人3年目で転職したり結婚したりしているのを見ると人生周回遅れ感がかなりあります。

Twitterで大学院中退を報告したところ、古くからの知人が気にかけてくれてご飯に誘ってくれていたりします。
この時にふとこんなもやもやをこぼしてしまいました。
そうしたらひょっとしたら仕事で生きてくることもあるかもよだとか、それはないものねだりなのではとか、人生80年あるだろうから3年くらい大差ないでしょとか様々言ってくれます。
様々な意見を聞いたのもあり、中退してから1ヶ月が経ったのもありで中退直後よりは気持ちに整理がつき始めてきましたし落ち着いてきてもいます。
また、院生時代にお世話になっていた学生相談所にも経緯を報告した上でこの件についてもカウンセリングを受けました。
精神科にも継続的に通っていますが、こちらも減薬を進めているところです。

ここまでいくと後は解決するというものではなくてどこまで納得できるか、どう折り合いをつけていくのかということになるのでしょう。
社会人になって時間が経つにつれて段々と気にならなくなるのか、それとも何かの折に吹っ切れるのかは分かりません。


昼間に明るい街中を歩いていると、中退しても生きていけるんだなと気楽に思えました。
研究室生活が社会の全てではないのです。
大学院生だとこの当たり前の事実を忘れてしまうんですよね。
これからどうなるかはまだ分かりませんが、それでもなんとか生きていこうと思います。

ではでは。